当時は何もわからなかった。母と暮らしてて楽しかった。
でも、思春期になるにつれ、自分の置かれた状況を理解できるようになった。
父は、私のための養育費を払ってはいたけれど、すでに再婚し、子供も生まれ新しい家庭を築いていた。
父が私に関心を寄せていると感じることは少なかった。
私は両親の間違った選択の結果、生まれた子のだろうか?2人の後悔から生まれた子…。
母は私を大切にしてくれたけど、私の自己否定の気持ちは消えなかった。
母といるときは笑顔でいるようつとめたけど、一人のときは、よく涙がでてきた。
ストレスや心の痛みを忘れるには、おいしいものを食べるのが一番だった。
体重が10kg以上増えた。そしてクラスメイトからデブだと陰口をいわれるようになった。
私は傷ついた。何度も食べすぎるのをやめようと思った。しかし、やめられなかった。
みにくくて、意思も弱い。
自分でも、何もよいところがない人間だと思った。
大学は居心地のよい場所だった。でも、これといった出会いや変化はなかった。
食べることが一番の楽しみなのも、変わらなかった。
やる気がでないときはいつも、今日はどんな美味しいものを買って帰ろうかと考えて気をまぎらわせた。
母を悲しませないことと、食べる楽しみのために生きている状態だった。
大勢との食事会で、私はいつもできるだけテーブルの隅の席に座るようにしていた。私のような者が場の空気をしらけさないように。
でも、彼はそんな私に、席を替えてまで話しかけてきた。
やがて、一目ぼれしたのだと告白された。
でも、私は彼を信じることができなかった。
私は彼にふさわしくないと思った。彼が近寄って来るほど、離れようとした。
期待して心を開いて、そのあと、がっかりされて、傷つきたくなかったから。私はいつも、そんなふうに人を遠ざけてしまうところがあった。
私はあるとき、思い切って本心を告げた。
「私なんて、どこもいいところがない。太ってるし、顔だって不細工だし」
「僕は、君にいいところがないなんて思わない」
彼は私を見つめて言った。
「でも、きみが自分を太ってるというなら、僕も太るし、不細工だというなら、僕も不細工になる」
私は何もいえなくなった。胸がいっぱいになった。
彼といることで私はどんどん勇気が出て、前向きになっていった。
難しい資格も取得できた。
今は子供も生まれて、幸せに暮らしている。






そのため、安壊のことを「人を生まれ変わらせる相性」だという人もいます。
宿曜 「私なんて何もよいところがない」と思っていた安壊の女性の幸福な結婚 #安壊